「和を持って尊しとなす」は、聖徳太子の言葉だ。日本の津々浦々での商店街や村の寄り合いでは、まず出席者がああでもない、こうでもないと話し合うことが優先される。結論の出ない会議もしばしばだ。お互いに疲れるまでただただ話すのだ。
そして商店街の会長や村の長が「まあ、急がば回れじゃ」とか言って寄り合いは終了する。戦略、戦術もなく目標も決まらない。しかし構成員はみんな満足なのだ。「和をもって尊しとなす」なのだ。これで昔からいろいろやってこられたのだ。みんなの和が、各自の限界を超えて共同作業を可能にしている。
実は現代の企業においても会議の席でこの現象がみられる。時間ばかり使って何も決定のない会議は、現代の労働生産性重視の企業では無駄以外なにものでもない。しかし伝統的な寄合いからすれば、長い話し合いの中で関係者どうしの考え方が明確となり、個々の役割が理解され、現場での工夫や改善に活かされて行くのかもしれない。
コメントをお書きください