接待の極致は千利休の侘び茶、茶道である。「おもてなし」の本意は、カミをもてなすための、「しつらい」と「まかない」のことだ。祭の準備がしつらい。祭の実施がまかないだ。千利休は、人が絶えた山奥の侘びた佇まいの中の三畳の茶室を理想とした。利休の侘び茶は、主人と客が、娑婆世界から離脱していわば理想的な彼方で集うことだった。そこには日本的美の極致があった。これを主人と客が自由自在に遊ぶことが理想だ。
また、江戸吉原の花魁の世界も、おもてなしの極致だ。千利休の侘び茶の世界は、主人と客が共に存在を高め合うことが目的であった。花魁の世界は、男と女の究極の世界だ。主人は花魁、客は花魁に通う男だ。「お客様は神様です」という言葉がある。これが「おもてなし」の本質だ。しかし、客の方から見ると、おもてなししてくれる主人や花魁こそカミさま、あるいはモノノケさまかもしれない。
茶と花魁は、そこは娑婆世界を離脱したこの世の別世界であり、最高のもてなしの場という点が共通である。この空間に入ると人は、尺度のないバーチャルな自由を手に入れる。飛べない鳥が飛ぶように。この場の喜びに比べれば1万円も1億円もとるに足らないことなのだ。銀座の高級クラブもモノノケが闊歩する茶室なのかもしれない。
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