悟りとは? 現代の認知科学の視点から

ものごとの理解とは、世界の姿を五感で受け止め、脳が情報処理した結果のことををいう。すべてが情報なのだ。一般的には、見たものは事実、考えたことは観念というように二元論として扱われてきた。認知科学では、それら感覚情報と思考情報を情報の抽象度の相違として一元論として扱う。これにより身体と心と言語、物理世界と心理世界、さらには唯物論と観念論が共通の情報空間として克服されたということになる。

人は見たいものしか見ていない。脳は過去の記憶などを適度にハイブリッド化して省エネモードで視覚情報を処理している。見たつもりでも実は何も見ていないことがたびたび起こるのだ。つまり視覚には死角がある。物理的にも網膜は、神経の束の集まる部分は外界の像を映していない。しかし脳はこの欠落している点を あたかも見えているように補正処理している。この盲点をスコトーマという。この曖昧さは五感すべてで起こる。人の認識は穴だらけの情報空間なのである。

「さとり」とは、このスコトーマが外れた状態をいうのだ。驚くことに仏教は、2000年以上も前から人の認識そのものが情報空間であるとし、この死角だらけの情報空間自体を虚妄であるとしていた。色即是空である。インド発、中国経由で日本化した仏教は死後の世界を説くことで、日本のカミの世界とクロスしていったが、彼岸の世界を遠くに置き、あまりに拡大させ実体化したことが失敗であったようだ。日本人の無意識の中では、此岸と彼岸は渾然一体化しているにちがいない。