お祓いと支払(オハライとシハライ) 

日本語には、シハライとオハライという何か紛らわしい怪しい言葉がある。 

オハライは、取り憑いたモノノケや汚れを神社のカミにお願いして取り除いてもらう行為である。 

一方、シハライは、日常、必要となった欲求を満たすためにモノを買って、商品というモノを相手から自分に付ける(憑ける)ことだ。相手のモノが自分に移動するから、それと同等のモノ(お金)を払う(ハラウ)のである。つまりモノの価値として「サチ」(幸=モノ=タマ)を身に取り込み、それ相当のモノ(お金=タマ)のやりとりが、モノの取引の本質である。お金には、「サチ」に見合った同等の価値(モノ=タマ)が宿っているのである。 いわばカミ(タマ=モノ=カミ)の交換と言ってもいいのだ。

 

古代においては森羅万象の奥底に流動する「タマ」(精霊=自然エネルギー体)が豊かな自然をはぐくみ、そこから人は食物や生きる力をもらって生きていた。「タマ」は、人間の社会ではコトダマとして言葉と事に影響をあたえ 、この世の富や幸や生命を増殖させるエネルギー体であった。その見えない「タマ」が、社会の背後で流動する姿は、現代社会における市場システムの中でうごめく「貨幣 」に驚くほど似てはいないだろうか。

 

本稿の趣旨から言えば、貨幣はタマ(モノ=精霊)である。現代社会の入り組んだ記号や情報の森の中で、貨幣はその森に生息するタマ(精霊)のように活動している。従ってシハライとオハライは同じことなのだ。タマ(貨幣)は、市場システムの中を憑いたり離れたりして流動していきながら 、いたるところで物質的な変態をおこしていく。時には流動するタマ(貨幣)はモノノケとなって人々を襲うこともあるのだ。その流動のプロセスがよどみなく活発に活動する時 、現代人は、景気がよいと思い、生活の豊かさを実感しているのだ。