真っ暗闇に入ってみる。なんとも心許ない気分になる。いかに視覚に頼ってきたかが分かる。暗闇の中で歩き始める。五感が活性化されている。聴覚と触覚を頼りにしている自分がいる。暗闇は恐怖だ。多分、生き物として最も無防備な状態であるのかもしれない。何者かが突然襲ってくるかもしれないからだ。しかし、少し考えてみると、元々こころには、恐怖を与える何者かがインプットされているのかもしれない。無意識の中に多くの何者かが潜む恐怖の小部屋があって、日頃はその扉は閉まっている。ヒトが闇に入るとその扉が開いてモノノケたちが活躍しはじめるのかもしれない。
耳なし芳一に登場する平家怨霊の闇。モノノケたちが跋扈する「百鬼夜行絵巻」に描かれている平安京の闇。江戸の闇に絢爛たる花を咲かせた吉原の花魁。さらに華麗な隅田川の花火。日本の夜の闇は、様々な文化の母体であったのだ。さらに、失明の琵琶法師たちが、光のない世界から独自の文化を育てていったのだ。
幼い頃、映画好きの叔父に連れられて怪談ものの映画をよく見せられた。「四谷怪談」や「番町皿屋敷」である。怖い場面になると画面を注視できなくてうつむいて目を伏せていた。その時、目を伏せた先の闇にも、闇そのものが恐怖となっていた。お化け屋敷は、ヒトのこころの恐怖の扉を開くエンターテイメント装置かもしれない。闇にはヒトを原始状態に導く力がある。古代の森羅万象には、現代人が想像できない深い闇があったに相違ない。そんな中で無意識の中の恐怖の扉が開かれるのだ。夜の闇を照明の進化によって克服した現代人にとって、すでに闇の恐怖は分からなくなってきている。と同時に、闇の中から価値あるチャンスも引き出せなくなっている。
たまには、お化け屋敷に行って闇の怖さを改めて感じてみませんか?