グラデーションの大地 日本


「ああ、その光景の魅力はどうだろう。あの靄に浸されて定からぬ朝の最初の艶やかな色合い。こういう朝の色綾は眠りそのもののように柔らかな靄から軽く抜け出て目に見える蒸気となってうごく。ほのかに色づいた霞は長く伸び広がって湖に遥か彼方の端にまで達する」
1890年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、日本の最初の印象を綴った著作「神々の国の首都」での朝の宍道湖の一節である。彼は日本の人々の生活の隅々まで行き渡った美的感性の所在を、この出雲の宍道湖の霞のように、果てしないグラデーションの風土と光に求めている。

画家安井曾太郎がフランス留学から帰国して、彼はフランスでは描けていた絵がまったく描けない大変なスランプに陥ったそうだ。原因は、フランスの光と日本の光が決定的に相違することだった。彼は日本のグラデーションの在り方に気付き、スランプを克服したらしい。

日本の表現、とりわけ水墨画は、余白とグラデーションの時空だ。必ず観る者にグラデーションは無限を感じさせ、向こう側、彼方を感じさせる。その彼方に人々は想いを馳せ、神々を感じたのではないだろうか。暑い夏の日、平成の大遷宮を終えた出雲大社に詣ってそんなことを思っていた。