カミとの交流 「おもてなし」のはじまり
カミを「もてなす」ために「しつらい」と「まかない」が発生する。準備と接待だ。これらが現代でも私たちの基層文化を形作っている。
象徴的には「祭」にその一切がある。
ここに日本独特の文化モードが発生する。祭とはカミを招き、山海の馳走、歌や踊りで饗応して、招いたカミの威力に、人びとの幸を祈り願うことである。これは現代でもお客をもてなす基本モードとなっている。日本人の高いホスピタリティにもつながっている。中世に中国から伝わり日本化した茶道は、喫茶をとおして「もてなし」を芸術に高めたのだ。
現代の政治や企業の組織も、祭りを準備する氏子の組織形態がプロトタイプとなっている。政治を「まつりごと」といい、汚れたこころと身を清めることを「禊ぎ」と言っている。カミは穢れを嫌い、人々には常に生活環境と身を清める習慣が定着している。このことは現代の衛生観念の普及、ひいては現代日本人の平均寿命アップにまで繋がっているのかもしれない。
古い時代の人々にとっては、カミから幸(サチ)を分けていただいてはじめて生きることができた。したがってカミのことが一番大切である。祭の日にカミにやって来てもらうには、身と身の周りをいつも清浄に保ち、力をあわせてもてなしの準備をしなければならない。決して手抜きをしないで各世代が協力して祭りの準備を行うこと、いつもケガレを嫌い、浄めていくこと。これが日本人の生活信条となっていった。
日本文化は、カミが主語なのだ。「日本って何?」の答えは他にはない。日本人であれば、こころの中にある「日本というモード」(カミのはたらき)が日本人を作っていったといえる。日本人の本来的な生きがいとは、先輩たちから役割を仰せつかり、努力して役割を成し遂げ、周りから一人前だと評価されることかもしれない。
日本列島の自然は温暖で豊かであるとともに、地震、津波、台風、洪水、火山の噴火と過酷な天変地異を繰り返す自然でもある。そこに居住する人々が、人間の力を圧倒する自然環境をカミとするのは当然のことであったといわなくてはならない。カミを招き、もてなし、幸と福を願わねば生きていけなかったのだ。
明治に日本にやって来たラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本の景観の中に、湿気の少ないヨーロッパにはない微妙な色彩やグラデーションを見出して、それが時間とともにうつろっていく姿に感動している。これが日本人のきめ細やかなこころや、世界にも類例をみないものづくりのセンスなど生活文化全体に反映していると書いている。
巡る四季は、同時にうつろう自然であり、そこで生きる人々にとっては、森羅万象があってこその人生でもあったのだ。森羅万象に満ちているタマの相互作用で生じる「縁」が人々を繋ぎ人生を作ってきた。うつろな容れ物に縁が生じ、事が始まるのだ。かぐや姫が空っぽの竹の中に生まれ出るようにカミがやってくる。タマを招き入れ、発生させる構造がウツである。古い時代の人々は、
「容れ物があつて、タマがよつて来る。さうして、人が出来、神が出来る、と考へたのであつた」 折口信夫「霊魂の話」
かつて日本には「物忌み」という習慣があった。気が枯れてしまって、気が元に戻る、すなわち元気になるまで、何日も家に引きこもるのだ。元気は空っぽのこころに宿るのだ。
また新しい天皇が即位する時、真床襲衾(マドコオフスマ)と呼ばれる天皇の霊をつける神事が行われている。寝具にくるまって霊がつくのを待つのである。これらの事例は、卵や繭などの容れ物の中に生命が宿り、成長し、誕生するプロセスのアナロジーなのだ。
ウツ(空っぽの容れ物)の中に突然、エネルギーが発生する。ウツ(空)がウツロって、ウツツ(現)となる。これが産霊(むすび)=結びである。「ヒがムス」(火=霊が産す)が「結び」の本来の意味である。カミはウツにやってくる。縁結びや結婚など「結び」のつく言葉はひろく現代人の日常にも深く浸透している。
また世界に類例のない短文詩である和歌は、コトバのタマ=言霊である。本来の和歌は、音声であり文字ではない。それはカミとのコミュニケーションのために使用される祝詞を起源とする。言霊のエネルギーの交換プロセスが歌会であり、日本の文学はタマの交換メディアであったのだ。
(コトホギ=祝いほめる言葉~寿言)
ニニギの降臨を伝える高千穂の峰々 宮崎