カミと森羅万象 タマ(カミ・モノ・オニ)

白神山地 秋田
白神山地 秋田

縄文期の日本列島に住まう人々にとって彼らの世界はどのようなものであったのだろうか。

 

「大昔、森羅万象がアニマ(霊魂)を持っていた時代、植物も岩石もよく言葉を話し、夜は炎のようにざわめき立ち、昼はサバエが沸くように沸騰する世界があった。存在するのは善意にみちたものたちばかりとは限らなかった。夜は蛍火のように輝く怪しいカミがいるかと思えば、昼はサバエのように悪いカミがうろついた」   「日本の神々」谷川健一

 

人々にとって森は、むせ返るような木々の喧騒と、動物たちとの対等な交流の世界であった。世界の隅々までに霊が宿り、おこされた火、その炎は饒舌に人に話しかけ、人の言葉にも霊が宿っていたのである。まさに神話的な多神教的世界であった。この時代、人々は神のことを「タマ」と言い、森羅万象すべてにタマが宿っていると思っていたらしい。

 

現代でも神社には注連縄を巻いた樹木や岩石がある。樹にも岩にも水にも火にもタマが宿り、人にもその身体の内にタマが宿っていたのだ。つまり人にとっても、動物にとっても身体はタマの乗り物なのだ。日本語はこの時代に成立している。したがって人の発する言葉にもタマが宿っていた。これをコトダマという。時代が下るうちにタマは、人にとって有益、または驚異となるタマをカミといい、害を及ぼす邪悪なタマをモノ、あるいはオニと言うようになった。

 

古い時代の人々は、「容れ物があつて、タマがよつて来る。さうして、人が出来、神が出来る、と考へたのであつた」    

                                                     折口信夫「霊魂の話」

 

後世の理性を中心とした左脳的人間と比べると、この時代には、生と死、過去と未来など、現代では二元論として理解される事柄が、当時は一つのこととして理解されていたようだ。この世界は、八百万のカミに整理統合される以前の土地に根ざした多数の神々の世界でもあった。この神々は、歴史時代では「宿神(守宮神)」(シャグジ)と呼ばれ、能楽師が奉ずる神、職人たちの神として現代でも細々と生き続けているのだ。縄文の世界とは、森羅万象に満ちている見えないタマ=精霊=カミとそのエネルギーを摂り入れる文化を社会システムとした文明であったといえるかもしれない。

 

このことは現代でもほぼ無意識のうちに日本人の衣食住などの生活空間から、技芸、思想、美的感性まで隈なくゆきとどいている。それは人々のこころに潜在意識としていまも生きているカミのはたらきである。森羅万象のタマ(=カミ)は、人のこころの奥に住んでいるものが外に対象化されたものであるのかもしれない。幽霊も人形も河童も仏像もこのようにして生まれた。

 

古い時代には、食べ物としての動物の捕獲や植物の栽培は、生きるための食べ物の摂取であるが、同時に自然界のタマの摂取でもあった。人々は、自然から食べ物をいただいて生きている。そのことは同時にタマをいただいているのである。タマ(霊)=サチ(幸)と言っても言いすぎではない。よく人は美味しいものに出会った時、「幸せ」と言う。タマを身体に摂りこんだとき人は幸せになるのである。他の生き物のタマ(エネルギー)が乗り移るのだ。

 

いまも古い文化が残る沖縄地方では、現代でも女性がカミや祖霊とむすびついて家族や社会を守護する存在とされている。亡くなって常世の世界(ニライカナイ)に行った祖母の霊が、再びこの世に戻り孫娘に憑いて孫娘の人生を守り、社会を守るのだ。


 

大自然に生きづく生命現象はタマの連鎖である。身体を持ったタマが生命体といえる。ひとりの人の一生は、タマの連鎖の一過程にすぎない。古い時代には、森羅万象に満ち溢れるタマたち、なかでもカミは、最もパワーが強大で恐ろしい存在であった。(決して徳のある人格者ではない)その祟りを怖れ、幸を得るために人びとはカミを祀った。自然から得たものはまずカミに供えなければならない。祭のはじまりだ。

 

聖地斎場御獄(セーファウタキ)よりカミの島久高島を望む 沖縄