神々の伝承 日本的技芸のはじまり
古代には土地ごとに多くの有力なカミがいた。そのうち神々の戦い(部族の勢力争い=国家成立のプロセス)が始まり、大和朝廷が奉ずるカミ、アマテラスを中心に八百万の神々が再編成されて行く。この過程で敗れた神々を奉じていた多くの人びとは流民(ホカヒビト=乞食)となって流浪の人生をおくることとなった。ホカヒビトは、自分が奉じるカミのメッセージをより効果的に旅先の村々に伝えるため、また自らの食い扶持を確保するために、歌や踊りなどに仕立てて自らの技芸を高めていった。これが日本の芸能の発生に繋がって行く。
民俗学者折口信夫は、柳田國男との対談の中で、自らが提唱したマレビトについて
「何ゆえ日本人は旅をしたか、あんな障碍の多い時代の道を歩いて、旅をどうして続けていったのかというようなところから、これはどうしてもカミの教えを伝搬するもの、神になって歩くものでなければ旅はできない、というところからはじまっているのだと思います」と語っている。
日本文化の特徴としての独特の創造性や、ものづくりのルーツはどうやら「ホカヒビト」辺りにあるようだ。カミのメッセージを伝える工夫が、様々な演芸となり、新たな技術となり、ひとつひとつが磨き抜かれて行くのだ。そのために彼らは日常世界を超えた感性を求めた。古い時代の此岸と彼岸が合一した世界からエネルギーを取り込む必要があったのだ。いわばカミの力を動員することであった。ものづくりの過程の極限で、彼岸からカミのチカラを要請できる人たちの伝統が、匠や名人の登場につながっていったと思われる。
此岸から彼岸のエネルギーを要請してスーパーな力を得るメカニズムがある。これこそが日本の秘密の一つだ。天皇は自らに天皇霊をつけることによって霊的パワーを獲得する。また寺院の本堂にはご本尊が祀られている。参拝者はこのご本尊を拝むことになる。さて、ご本尊の裏側に回ってみるとその空間には何だか変なカミが祀ってあるのだ。後戸(うしろど)のカミという。後戸のカミは諸仏の背景の空間にいて、電源プラグをコンセントにつなぐように彼方のエネルギーを諸仏に送り込んでいるのだ。これによりご本尊は参拝者の願いを叶えられるのだ。
さらに能楽では、その原点である深遠なカミとしての翁の世界や、過去と現在、死霊と生霊、彼方と此岸が混在した能独自の時空表現、複式夢幻能とは、もしかすると此岸と彼岸がメビウスの輪のようにつながったタマの文化の投影そのものかもしれない。能は生体(此岸)を死体(彼岸)に近づけて行くことで美的超越をはかり鎮魂する芸であり、また歌舞伎は死体(彼岸)を生体(此岸)に復元することにより身体の感性的極限を身振りを通して行なう芸であると言われている。
さらに、一族に繁栄をもたらす旧家の奥座敷に伝わる座敷ワラシの世界、狩猟民文化をいまも残す諏訪宗教圏のシャグジ信仰、これらの共通点は人が生きるためには、森羅万象の奥の奥から霊的なエネルギーを引き出すことが必要不可欠であることを示すものではないだろうか。これらには縄文以来の古層のカミ、シャグジ的世界が垣間見られるのだ。幸せの条件が、自由であることや創造的であることが不可欠であるとするならば、この神話的メカニズムを現代でも大いに役立てるべきではないだろうか。
正月の幸福祈願 吉備津彦神社 岡山