縄文1万6000年 自然と共存する文化世界

紀元3世紀に統一国家が成立する以前の日本列島はどのようなところであったのだろうか。それは、なんと1万6000年余にも及ぶ縄文の時代が続いていたのである。日本語もすでにその時代に成立していた。

 

一般の常識では縄文時代は原始社会のように思われがちだが、もうすでに相当の文化的社会であった。したがって日本列島にやって来た人びとは、列島の征服ではなく、日本語を習得してこの列島文化に同化していったのだ。この時代には地域の部族単位で、人智が及ばない圧倒的な自然の中で狩猟、採取と農業、さらに他の地域との交易が人々の生活を支えていた。まさに森羅万象の中で海の幸、山の幸を得るために、自然の中のタマ(カミ、モノ、オニ)と共に生きていたのである。

 

縄文時代の遺跡、青森の三内丸山遺跡からは新潟のヒスイや北海道の黒曜石が出土している。さらに福井の鳥浜遺跡から船が発掘されたことなどにより、縄文時代に列島周辺の海を通じて多くに人や物が絶え間なく列島に出入りしていたことは確実であったといわなくてはならない。

 

日本列島に渡ってきた人々は、その大多数が朝鮮半島経由でやってきたと思われがちだが、北のサハリンから渡ってきた人々、中国南部やフィリピンなど南方から海を渡ってきた人々など多くの民族が、海と陸の交易を保ちながら生活していたのだ。重要なことは、海は人と人を隔てたのではなく、海は人と人を結びつける道であったのである。縄文、弥生時代を通して多くの人々がこの列島に住み着いた。そして人々は、日本語を学び列島の縄文文化と融合していった。

 

当時、中国には統一国家がすでに成立していたが、日本列島には統一国家はなかった。一般には国家成立が文明の証と思われがちであるが、縄文時代の部族社会では王に権力を集中させる国家をあえて目指してはいなかったようだ。自然、森羅万象の中にカミを見出し、その圧倒的な力を前にして自然と共存する文化を守っていたのだ。いわば自然の王国といってもいいかもしれない。族長はリーダーではあったが、権力で民衆を支配する特別な存在としての王ではなかった。人びとは、動物、植物とさえ分け隔てのない関係を保っていた。わかりやすく言えば、人間に宿っている魂(タマ)は、動物にも植物にも同様に宿り、すべての生き物たちがタマの連鎖として自然を形成していたのだ。欧米のキリスト教文化にない多神教文化が発達していた。

 

一神教的世界、欧米を中心としたキリスト教は、いわば砂漠の宗教である。これに対して日本の神々の世界は多神教的世界、いわば森の宗教である。端的な大きな相違は、一神教では人間は神に選ばれたものとして他の生物より上位に位置することに対して、多神教では神々の世界、自然界、生物界が繋がっていて人間はその一部に過ぎない点にある。キリスト教世界は、キリスト教の布教を前提に、野蛮な多神教世界を文明世界にしていくとしながら世界中を植民地化した。さらに奴隷制度を当然としていた。したがって唯一神を最高位に縦の超越的秩序を重視する一神教世界に対して、多神教世界は横の現生的秩序を重視していると言えるのだ。

 

続石 遠野 岩手